読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

蘇る伝説の1993年伊藤智仁ルーキーイヤービジターユニフォーム 〜完全版〜

 みなさまは、伊藤智仁という選手を思い浮かべた時に、どの伊藤智仁を思い出すでしょうか。

 

 バルセロナ五輪三菱自動車京都時代、1992年のドラフト、初登板初勝利、金沢での16奪三振、復活登板、引退登板、コーチ時代…色々な場面がありますが、やはり金沢の石川県営野球場でのあの試合が最もインパクトが強いのではと思います。

 

 1993年6月9日。この日は、皇太子徳仁親王と小和田雅子さんの結婚の儀が行なわれた日で、水曜日でしたが臨時の休日となり、日本中がテレビの前で祝福していました。

 

 その日の夜、あの伝説の試合が地上波で生中継されたので、覚えている人が多いという背景があります。前日は、乱闘騒ぎもあり大荒れの試合だった巨人ヤクルト戦でしたが、この日はヤクルト先発伊藤智仁、巨人先発門奈哲寛の両ルーキーが、お互いに一世一代とも言える投球を見せ、緊迫した投手戦になりました。

 

 智さんはセ・リーグタイ記録となる16奪三振を奪いながら、9回の裏、篠塚にサヨナラホームランを打たれてマウンドに崩れ落ちました。「悲運のエース」と呼ばれる伊藤智仁の最も印象的な名場面となってしまったのです。僕もテレビの前で釘付けになり、この日から今日までずっと智さんのファンです。

 

 そんなルーキー伊藤智仁のユニフォームですが、これが全くの入手困難。大学生の頃、まんだらけで1995年くらいのつば九郎が袖に入ったユニフォームが10万円で売られているのを見たことがありますが、当時は買えるお金がありませんでした。また、ユニフォームコレクターである、栗山英樹監督の栗の樹ファームにあるのも1998年モデルのホーム。智さんの後援会の方に聞いても、当時のビジターユニは実家にも無いみたいだし、スワハウスにもない。もうホント幻なのです。

 

 これは1993年9月10月号の「プロ野球ai」の記事なのですが、選手には通常4着のユニフォームが毎年支給されるそうです。また、ユニフォームは寒い時用のニット生地と暑い時用のメッシュ生地があります。これは、現在でも同じです。

 

f:id:t_itoh20:20170415003536j:plain

 

 記事にあるように、ほとんどの選手は3着をメッシュにして1着をニット。全部メッシュを選ぶ猛者もいるとか。だから、ニット生地となるとそれこそ本当に手に入らない。ヤクルト黄金時代のビジターユニのシマシマシャドウストライプというもので、デサント社の技術なのですが、これが映えるのはニット生地なんですよね。

 

f:id:t_itoh20:20170415003729j:plain

 

 ちなみにこのシャドウストライプは、色々調べたのですが、今は再現できないそうです。2010年に復刻シリーズをやったときにミズノが復刻ユニを作った時も、織り目の違いで濃淡をつけるのが無理で、選手仕様ですら、メッシュ地にすることで濃淡を表現していました。レプリカも販売されましたが、これは全面昇華プリントしただけでテカテカした質感になってしまっています。また、2002年以降のユニフォーム(実使用及びプロコレ)には背中の首元にNPBロゴマークが入るのでそこも違う。

 

 シャドウストライプは、バブリーな時代であり、当時プリント技術が発達していなかったからこそできたデサント社だけの技術というわけです。

 

 そういう背景のなか、ほとんど諦めていたのですが、ヤクルトファンのなかでも、古いのが好きな友だちがいて、彼から1992年モデルのビジターユニを強奪譲ってもらうことができました^^
 (ホント感謝、感謝!)

 

 そして、いつもお世話になっているお店に胸番号・背番号・ネームを発注しました。

 

 そして数日後…。

 

f:id:t_itoh20:20170417215707j:plain

 

 キター!!

 

f:id:t_itoh20:20170417215955j:plain

 

 完璧や…!

 

 胸番号の赤い糸は左袖の「Swallows」ロゴと寸分狂わず同じ色です。

 

 そして背面。

 

f:id:t_itoh20:20170417220027j:plain

 

 おお!背番号は完璧!

 

 でも…。

 

 やっぱりネームがちょっと細い…。まあ、分かっていたと言えば分かっていたのですが、実は当時のヤクルトが採用していたネームのフォントはかなり特殊で、もはや普通じゃ再現できないんですよね。細かい部分だけしょうがないかと思っていたのですが、このユニを譲ってくれた友だちが、完璧に再現できるお店を教えてくれました^^

 

 その変態ならオールドファンなら知る人ぞ知る名店に持ち込み…ネームの張替えをお願いしました。

 

f:id:t_itoh20:20170415003825j:plain

 

 当時のネームがは、非常に特殊で僕自身も未だになんていう名前のフォントなのか知りません。また、例えば今は「DOHI」でも「OHLENDORF」でも文字のサイズは同じですが、当時は違うんですね。「HATA」だと大きくて、「OKABAYASHI」だと普通サイズになるわけです。

 

 前述のお店は、僕が知る限り、都内で唯一そのフォントを再現できるのです。

 

 そして、入手してから苦節数ヶ月…ついに伝説の1993年伊藤智仁ルーキーイヤービジターユニフォーム・完全版ができました!もうね、初めて観た時、鳥肌立った。泣きそうだった。

 

 そういうわけで改めて紹介させてください。

 

f:id:t_itoh20:20170415004014j:plain

 

 まず、胸のロゴ。1993年までは亀倉雄策氏制作のフォント(通称・亀倉フォント)が採用されていて、94年以降はヤクルト本社のロゴをアレンジしたものに変更されました。これが最後の亀倉フォント。少しずんぐりしているのが特徴です。

 

亀倉フォント(1993年迄)

f:id:t_itoh20:20170415004042j:plain

 

本社ロゴのアレンジ(1994年以降)

f:id:t_itoh20:20170415004144j:plain

 

 似ているようで、並べるとかなり違いますね。

 

 そして、今はなき、Sun-Upのロゴ!Sun-Upの倒産が入手困難のひとつの原因でもあります。

 

f:id:t_itoh20:20170415004233j:plain

 

 袖の赤い「Swallows」は直接刺繍です。

 

 また、袖には首元の青と白のライン(フライスといいます)と同じラインが入っていますね。これは、1996年に廃止になりました。

 

f:id:t_itoh20:20170415004305j:plain

 

 袖の「Swallows」ロゴの上には1994年以降は新ペットマークであるつば九郎のワッペンが入りました(1993年までは、つば九郎自体が存在していない)

 

f:id:t_itoh20:20170417214919j:plain


 ちなみに、パンツも持ってます( ´艸`)

 パンツに関しては、メッシュやニットという違いはありません。

 全てニットです。

 

f:id:t_itoh20:20170415004440j:plain

 

 そして!!ついに完成した背中のネーム!

 

f:id:t_itoh20:20170415004533j:plain

 

 うほー!完璧や!!

 まさに黄金時代のT.ITOH!!

 

f:id:t_itoh20:20170415010727j:plain

 

 長年手に入れる事を夢見てきた1993年ルーキーイヤーの伊藤智仁のユニフォーム。ついに完成しました(T_T)

 

 うれしい…。

 

 なんでも、マーキング業者さんがベテランのヤクルトファンとのことで、かなりこだわりを持って作ってくださったそうです。

 

 ありがとうございます!


 せっかくの機会なので、野村監督時代、つまり黄金時代のユニフォームの遍歴をまとめてみました。

 

1990-1993年(初期型)

 1990年の野村監督の就任を受けて、ユニフォームがホーム・ビジター共にモデルチェンジ。いわゆる黄金時代ユニ。時期によっては、ホーム用もシャドウストライプが入っているものがあるらしいが、見たことない。

 

1994-1996年(中期型)
 
 新ペットマーク「つば九郎」が1994年に誕生。左袖につば九郎のワッペンが入れられる。キャップのロゴがアトムス時代のものになる。ホーム用の袖とビジター用の胸に入っている「Yakult」のロゴが亀倉雄策氏制作のものからヤクルト本社ロゴをアレンジしたものに変更される。

 

1997-1998年(後期型)

 

 1997年に袖のラインも消える。1998年は野村監督最終年。翌年から若松勉監督時代が始まり、黄金時代ユニは終わりを告げた。かつて全球団がビジターにスカイブルーを採用しましたが、ヤクルトが廃止したことで、その歴史も幕を下ろしました。

 

 このように、ざっくり黄金時代ユニと言っても、3パターンあって、それぞれ微妙に違います。智さんはルーキー時代の1年だけ初期型を着ました。あと、池山が「36」を付けたのも初期型のみ。ここまで来ると変態の領域ですが、マニアとしてはこだわってしまうんですが、僕は智さんの絶頂期であるルーキー時代の、シンプルな初期型が好きです。

 

 智さんは、野村監督時代の1993-1998年まで背番号「20」を使用し、若松監督就任後から引退するまでの1999-2003年は「21」に変更しました。その後、引退翌年の2004年から2017年現在まで投手コーチとして「84」を使用しています。

 

 むかしと違って、今はヤクルトのグッズショップやオンラインストアで手軽にユニフォームが買える時代になりました。ほとんどの人は新しいユニフォームがお好きだと思います。大岩Larry正志氏のデザインは秀逸だと思うし、僕も好きです。でも、それでも、思い入れとこだわりがあって、見る人によってはただの古いユニフォームでも、僕からしたら墓場まで持っていきたい逸品なのです。

 

 熱く語ってしまいましたが、この辺にしときます。ご清聴ありがとうございました^^

 (本日の記事は資料としての要素があるので、画像はすべて無加工になっています)

 

PS

 きのうの試合についてですが、この記事を書いているのが金曜日の夜なので知りません^^;いま、横浜遠征中なのでご了承ください。2試合分、月曜日にまとめて公開します。

 

 4月17日追記

 

 そうそう、書き忘れてしまいましたが、黄金時代ビジターユニは、背番号とネームの色が若干違います。ネームは普通のネイビーで、背番号は同じネイビーでも光沢があります。

 

f:id:t_itoh20:20170417210734j:plain

f:id:t_itoh20:20170417210823j:plain

 

 分かりますかねー。よーく見ていただけると違います。光が当たると全然違うんですよね。

 

 

共感できたら応援お願いします
1日1クリック投票できます♫

にほんブログ村 東京ヤクルトスワローズ