さよならオレたちのミスタースワローズ―岩村明憲が引退を発表

 きのう2017年4月9日(日)、BCリーグ・福島ホープスは、同球団の選手兼監督兼球団代表を務める岩村明憲が今シーズン限りで引退すると発表した。今さら説明は不要かもしれないが、岩村は1996年にヤクルトにドラフト2位で入団。2000年から主力として活躍し、2001年には若松、池山に続きミスタースワローズの象徴である背番号「1」を継承。同年のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。

 

 2007年には野手としては初めてヤクルトからMLBに移籍。日本人内野手がアメリカの地で苦戦を強いられるなか、見事にレギュラーを獲得し、2008年にはチームをワールドシリーズ進出に導いた。岩村は、「レイズの心臓」と呼ばれるなどチームに欠かすことができない選手になった。また、WBCの第1回、第2回大会でも主力として活躍し、日本を「野球世界一」に導いた。

 

 若松、池山、岩村と引き継がれてきたヤクルト栄光の背番号「1」。その後、青木宣親山田哲人に受け継がれ今も神宮球場で観客の期待を一身に集めている。その伝統を、紡いでくれた岩村の功績は大きい。

 

 2011年に日本球界に復帰して、東北楽天に入団。ここで、東日本大震災を経験したことがその後の人生に大きな影響を与えることになる。2013年から2年間は7シーズンぶりにヤクルトに復帰したが、全盛期の力には程遠く、2014年に戦力外通告を受けてしまう。本来なら、ここで引退の花道をとも思うのだが、岩村は現役続行を選択する。

 

 かつて、ミスタースワローズと呼ばれ、メジャーではレイズの心臓とまで呼ばれた男が選んだのは、独立リーグの福島ホープスだった。「自分が少しでもこの地域の復興の役に立てるのであれば」と熱意を持ち、選手、監督、2015年からは球団代表の三足のわらじを履いて精力的に闘った。「何苦楚魂」を心情とする岩村らしい生き方だった。

 

 野球選手の引き際は難しい。僕が子どもの頃、野球好きの父は「まだやれると思われて引退するのがいちばんいい」とよく言っていた。あっさりと引くのが良いのか、燃え尽きるまで闘うのが良いのかは今でも分からない。しかし、岩村の野球人生はカッコよかったと思う。

 

 僕は、岩村と同い年なので、同級生の選手がヤクルトで背番号「1」を付けて活躍しているのがとても嬉しかった。岩村と言えば、忘れられないのは、2005年に母親が他界したときだ。帰郷するようにという若松監督の配慮を辞退し、試合にスタメン出場。天までとどけと言わんばかりに2本のホームランを放った。ホームベースでは天に向かってキスをした。あの姿こそ、岩村明憲という野球選手の、魂が震えるような、最高の場面だったと思う。

 

 とにかく、今はお疲れ様でしたと言いたいです。同い年の選手が引退するのはとてもさみしいことだけど、岩村明憲らしい人生を今後も歩んで欲しい。そして、いつの日か、またヤクルトのユニフォームに袖を通してくれる日が来たらと思います。

 

 さようなら、オレたちのミスタースワローズ

 

共感できたら応援お願いします
1日1クリック投票できます♫

にほんブログ村 東京ヤクルトスワローズ